2021年12月28日
伊東市の最誓寺です
東伊豆の伊東を治めた伊東氏
曽我物語の曽我兄弟の仇討ちも伊東氏のお家騒動の話です
この伊東の一族の墓碑があるのが伊東市の最誓寺です
そして開基と伝わる由緒の話がとても興味深いお寺です
Contents
最誓寺 伊東 音無の森 音無神社のすぐ近くです
最誓寺は音無神社の隣にあります
若いころの源頼朝と八重姫が逢瀬を重ねた地との伝承が残る伊東の音無神社
その音無神社の国道135線側の参道の石柱のすぐ近く
国道135号線沿い
となりにあるお寺が最誓寺です
音無神社から見える墓地はこの最誓寺の墓地です
最誓寺は伊東駅と伊東家館跡と伝わる伊東市役所のある物見塚公園の間にあります
伊東駅からは徒歩15分くらいの距離ですから、伊東温泉街や日暮神社、音無神社など見どころもあるので歩いて行くのもおすすめです
最誓寺 【Google Map】
【住所】 日本、〒414-0032 静岡県伊東市音無町2−3
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伊東の八重姫と江間小四郎義時(北条義時) 最誓寺縁起
江間小四郎義時(北条義時)と八重姫の立願 最誓寺(西成寺)
開創は鎌倉時代の初期
開基が北条氏二代の執権江間小四郎とその室八重姫の立願によると書かれています
北条氏二代執権といえば北条義時です
北条義時は源頼朝の挙兵後、江間の地を治めたので江間小四郎義時となりました
江間小次郎、江間四郎、江間次郎とも呼ばれています
最誓寺縁起には、江間小四郎(北条義時)の室が八重姫、そして夫妻が千鶴丸の菩提を弔うために創建したと書かれています
千鶴丸は源頼朝と八重姫との間に生まれた男子
頼朝の最初の子で、生きていれば源氏嫡流として将軍になる子だったかもしれない子です
八重姫の父親、平家の家人である伊東祐親にみつかり、千鶴丸は殺されてしまいました
伊東家墓碑由緒にも八重姫が北条氏家臣江間小四郎に嫁ぎしよりとされています
この墓碑由緒の書き方だと江間小四郎が北条義時なのかはよくわかりません
八重姫が嫁いだ江間次郎と江間小四郎
千鶴丸の殺害後、伊東祐親は八重姫を江間の次郎に嫁がせたと伝わります
江間の次郎、小次郎、四郎、小四郎
伝承によって名前は微妙に変わっているようです
北条義時も江間を治めるようになってからは、江間小四郎、江間小次郎です
ですが、この八重姫が嫁がされた江間の次郎は、北条義時が江間に入り江間小四郎(四郎)と呼ばれるようになる前に、江間を治めていた別人と考えられているようです
また八重姫については、伊豆の国市韮山に伝わる物語もあります
北条の本拠地近くにある眞珠院にある八重姫を供養するお堂
眞珠院では、治承4年(1180年)7月16日、八重姫は源頼朝に会うために伊東から亀石峠を越えて、守山の北条の館まで来たけれども、すでに北条政子と結ばれていた源頼朝には合わせてもらえず、真珠ヶ淵に身を投げ亡くなったとされています
6人の侍女も後を追い自刃したとされています
伊豆韮山では、八重姫は源頼朝と離別させられた後、伊東から源頼朝を追ってきて自害したという伝承ですね
吾妻鏡の記述から、伊東祐親が千鶴丸を殺し、源頼朝を襲撃しようとしたのが1175年と考えられるらしいです
頼朝は、襲撃を避け、伊豆山の走り湯権現に逃げた後、北条時政を頼ります
北条政子と源頼朝の結婚は一説によると1178年です
1179年には第一子の大姫誕生します
頼朝を追ってきた伊東の八重姫の入水が1180年7月16日です
頼朝の挙兵は八重姫自害の直後1180年8月17日です
もとの江間の次郎は伊東祐親とともに頼朝に敵対し、頼朝の挙兵後、北条義時が江間を与えられ、江間小四郎と名乗るようになりました
そして、もとの江間次郎の子は、江間を治めるようになった北条義時が引き取って育てたとの説もあります
伊東の八重姫と江間小四郎義時(北条義時)結婚説
著書の中で眞珠院の伝承との関係には触れていないのですが、大胆な仮説という前提のもと坂井孝一先生は北条義時と八重姫の結婚説を書いていました
北条義時が江間の次郎に嫁いでいた八重姫母子をまとめて引き取り結婚したという説になります
北条義時が江間次郎の子を引き取った話や最誓寺縁起とも符合するのですが、伊東に伝わる話と韮山に伝わる話、八重姫の物語はどちらだったのでしょう?
鎌倉殿の13人では、源頼朝と別れさせられた後の八重姫はどのように描かれるのでしょうね
伊東の八重姫 悲恋の伝説 伊豆の国市郷土資料館
伊豆の国市の伊豆の国市郷土資料館(伊豆の国市中央図書館2階)では、2021年12月3日から2022年4月22日まで頼朝旗揚げ物語の企画展を行なっています
全期間展示として、八重姫の入水伝説と侍女6人の自刃伝説の物語が紹介されています
伊豆韮山に伝わるのは悲恋・悲劇の結末の物語
伊東に伝わるのは、悲恋・悲劇からの再起の物語
伊豆の国市立中央図書館 【Google Map】
【住所】 日本、〒410-2315 静岡県伊豆の国市田京167−7
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最誓寺 伊東家墓碑
最誓寺の門を入って、すぐ左側にある伊東家の墓碑です
伊東祐親の墓碑は、最誓寺ではなく別の場所、国道135号線の坂を登って行った物見塚公園・伊東市役所のさらに先になります
物見塚公園には今は大きな伊東市役所が立ち、館跡の碑、伊東祐親像もあります
最誓寺で出迎えてくれたかわいい小坊主さん
八重姫・江間小四郎義時(北条義時)・源頼朝のゆかりの地
ひぐらしの森 音無の森 八重姫と源頼朝 伊東
源頼朝が八重姫と会うために日暮れまで待っていたと伝わるひぐらしの森と、八重姫と源頼朝が逢瀬を重ねた音無の森は最誓寺のすぐ近く
源頼朝と八重姫が会っていたと伝わる音無の森・音無神社は最誓寺のとなりにあります
八重姫と源頼朝の子 千鶴丸最期の地 稚児ケ淵 伊東
伊東の最誓寺の縁起には二代執権江間小四郎義時とその室八重姫が千鶴丸の供養のために立願したと書かれていました
八重姫は生きていて、北条義時と結婚したのでしょうか?
千鶴丸が沈められたと伝わるのは伊東大川の上流の稚児ケ淵です
伊東鎌田の火牟須比神社のおとどいの橘、千鶴丸の遺骸が流れ着いたと伝わる富戸の海岸には、千鶴丸・若宮八幡を祀る富戸三島神社があります
八重姫入水 自害の地 真珠ヶ淵 伊豆の国市 韮山
伊豆韮山にある眞珠院には、頼朝を追ってきた八重姫は真珠ヶ淵に身を投げ、侍女6人は自害した話が伝わります
大仁町の女史跡公園にある八重姫の侍女を供養する女塚の碑の由来概説には、伊東まで氏著の「八重姫・千鶴丸考」の説が記述されています
伊東祐親は密かに千鶴丸を逃し、千鶴丸は島津家の祖、島津忠久となり源頼朝に仕えたという説です
ただ、八重姫にも知らせず密かに逃したため千鶴丸が生きていることを知らずに八重姫も侍女も自害してしまっています
音無神社にある音無神社伝承絵巻でも伊東祐親は千鶴丸を助けたという異説のことが書かれています
八重姫と江間小四郎義時が結婚して暮らした地? 江間 伊豆の国市
伊豆の国市の江間は江間小四郎義時(北条義時)が治めた地
北条氏の本拠地だった伊豆の国市の守山、北条の里のとなりです
北条氏・北条義時にまつわる史跡が点在しているところです
八重姫と江間小四郎義時はこの地で結婚して暮らしたのでしょうか?
沼津の海にも近い中伊豆にあり、人気のいちご狩りも楽しめます
そして、歴史の長い温泉街・伊豆観光の拠点に便利な伊豆長岡温泉もすぐ近くです
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