伊豆ひとり旅

八重姫 入水伝説の地 真珠が淵 眞珠院 八重姫御堂

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2021年12月27日と28日

伊東の八重姫の入水伝説の地

真珠ヶ淵

今は伊豆の国市韮山の眞珠院があるあたり

真珠ヶ淵に身を投げて亡くなったと伝わっています

眞珠院には八重姫を供養する八重姫御堂(静堂)があります

八重姫 入水伝説の地 真珠が淵 眞珠院

伊東八重姫入水の地
伊東八重姫入水の地

眞珠院 曹洞宗 禅宗のお寺 伊豆の国市

伊豆の国市 中條

守山の南側、眞珠院は韮山古川沿いにある曹洞宗のお寺です

伊豆韮山の守山といえば、鎌倉北条氏の本拠地

守山のまわりには鎌倉北条氏に関わる寺院や史跡が点在しています

眞珠院
眞珠院

眞珠院は曹洞宗の禅宗のお寺

開創は鎌倉時代、歴史のある禅寺です

眞珠院
眞珠院

八重姫 入水と侍女6人自刃 真珠が淵 伝承の地

眞珠院
眞珠院

ここ眞珠院に残る伝承が伊東の八重姫の入水伝承です

眞珠院のある場所の南側が真珠が淵だったあたりだそうです

山門をくぐった右側すぐのところに八重姫を供養する八重姫御堂があります

八重姫御堂 静堂
八重姫御堂 静堂

伊東の八重姫は伊豆に流されていた源頼朝の最初の妻

源頼朝の最初の子、千鶴丸を産んだのが伊東の八重姫と伝わっています

千鶴丸は3歳のときに、八重姫の父親の伊東祐親に源氏嫡流の子であることを知られてしまい殺されてしまいます

伊東祐親は、源頼朝と八重姫の仲を裂き、千鶴丸を稚児ケ淵へ沈め、さらに頼朝を襲撃することを計画しました

頼朝は伊東から伊豆山の走り湯権現に逃げ、その後に北条時政を頼ったといわれています

吾妻鏡の記述から推定すると伊東祐親の頼朝襲撃計画は1175年

源頼朝と北条政子の結婚は1178年と推測されるそうです

伊東八重姫入水伝承では、八重姫は伊東の館から侍女6人とともに抜け出し、亀石峠を越え、頼朝のいる守山の北条時政の館まできたことになっています

北条時政邸までたどり着いたものの、すでに頼朝は政子と結婚しており、会うことも叶いませんでした

伊東の八重姫は真珠ヶ淵へと身を投げ命を絶ち、侍女6人も自刃してしまいます

守山の北西側が北条時政邸のあったところ

守山の南側が真珠ヶ淵

すぐ近くです

治承四年七月十六日というのは1180年の頼朝挙兵の直前、一ヶ月ほど前のこと

源頼朝の伊豆配流時代のころの史料が少ないことと、創作も入るので史実は不明確だそうです

伊東八重姫入水伝承
伊東八重姫入水伝承

八重姫には眞珠院の入水伝承とは違い、頼朝と離別後すぐに北条のとなりの江間に嫁いだという伝承もあります

八重姫入水の地 真珠ヶ淵 行き方・アクセス 韮山 伊豆長岡

眞珠院は守山の南側、韮山古川沿いにあります

伊豆箱根鉄道駿豆線の韮山駅、伊豆長岡駅の間、少し伊豆長岡よりです

国道136号線から西へ500mほど入ったところ

12月27日は、北側の江間から歩いてきました

守山周辺には北条氏の史跡がいくつもあるので史跡巡りの途中で寄るのがおすすめです

眞珠院のあとは、南へ15分ほど歩いて伊豆長岡駅まで行きました

夕方になってしまい守山周辺を回りきれなかったので翌日の12月28日にも訪れました

最近始まったシェアサイクルを伊豆長岡駅で借り、守山の山のまわりをシェアサイクルで一周して、再度眞珠院へと立ち寄りました



眞珠院 【Google Map】
【住所】 日本、〒410-2121 静岡県伊豆の国市中條2
電話番号・URL・Plus Code・施設情報・口コミなどはMapをクリック

伊東八重姫の供養堂 八重姫御堂 静堂 眞珠院

八重姫御堂 静堂 眞珠院

八重姫御堂 静堂
八重姫御堂 静堂

眞珠院の山門をくぐるった右手にあるお堂が八重姫御堂です

こちらは八重姫御堂(静堂)の由来です

八重姫御堂 静堂
八重姫御堂 静堂

八重姫御堂 静堂 眞珠院 梯子供養

八重姫御堂 はしご供養
八重姫御堂 はしご供養

真珠が淵に身を投げた八重姫を梯子があれば救うことができたということが由来の梯子供養

お堂の中にも梯子が供えられていました

八重姫 入水の地 真珠が淵 韮山古川

韮山古川
韮山古川

日が落ちて暗くなってきた韮山古川

眞珠院のすぐ横を流れています

八重姫の入水の地はこのあたりだったのでしょうか?

真珠ヶ淵 眞珠院の墓地 守山のふもと

眞珠院 韮山古川
眞珠院 韮山古川

翌日、日中の韮山古川です

川の北側に見える山が守山、そして眞珠院の墓地です

眞珠院 墓地
眞珠院 墓地

守山の崖から川沿いに道が一本あって韮山古川が流れています

崖と川と間には今は、墓地と道がありますが、崖の下のこのあたりが淵だったのかもしれません

韮山古川
韮山古川

現在の狩野川は守山の西側を流れています

昔は東側を流れていて、蛭ヶ小島のような中洲が多かったと推測されているようです

韮山古川
韮山古川

韮山古川と狩野川の合流地点

眞珠院の裏側に歩いていくとすぐ狩野川です

八重姫入水 悲恋と千鶴丸 伊豆韮山と伊東に残る伝説

伊豆の国市と伊東市は亀石峠を挟んで隣り合っています

伊豆の国市の伊豆長岡駅から伊豆箱根鉄道で修善寺まで行き、バスで伊東市へと移動して、北条・八重姫・頼朝のゆかりの地をまわりました

眞珠院と満願寺 八重姫御堂のお寺

八重姫御堂のあるお寺 眞珠院

眞珠院の場所に移られる前に八重姫御堂があった場所と言われるのが満願寺

満願寺は今は跡地が残るだけですが、八重姫御堂にお参りして、眞珠院の境内、満願寺跡にも行ってみました

伊豆 江間小四郎義時 北条義時と八重姫のゆかりの地

北条義時のゆかりの地は江間です

北条の里、守山のとなりの地です

江間は、江間小四郎と呼ばれた北条義時が治めた土地

八重姫が嫁いだ地と言われるところでもあります

伊東 稚児ケ淵 八重姫と源頼朝の子 千鶴丸の最期の地

源頼朝と八重姫の子、千鶴丸が沈められた伊東大川の上流の稚児ケ淵

千鶴丸最期の地として伝わるところです

稚児ケ淵に沈められる前の話、伊東大川から富戸へ流れ着いた話もあります

千鶴丸ゆかりの地を訪れたました

伊東 音無の森とひぐらしの森 八重姫と源頼朝の逢瀬の地

源頼朝が八重姫と会うために日暮れまで待っていたひぐらしの森と、人目をはばかり会い逢瀬を重ねていた音無の森は伊東温泉にあります

音無の森とひぐらしの森へ行ってきました

源頼朝と北条義時

八重姫伝承 八重姫は北条義時と結婚説

江間に嫁がされた八重姫と江間小四郎義時 伊東 最誓寺

伊東祐親は千鶴丸を殺害したあと、八重姫を江間の次郎に嫁がせたという伝承があります

江間小四郎義時といえば、北条義時ですが、江間の次郎と北条義時は別人のようです

八重姫は生きていて、北条義時と結婚したのでしょうか?

こちらの伊東にある最誓寺の縁起には二代執権北条義時とその妻の八重姫が立願したと書かれているのです

八重姫悲恋の伝説 伊豆の国市郷土資料館

伊豆の国市の伊豆の国市郷土資料館(伊豆の国市中央図書館2階)では、2021年12月3日から2022年4月22日まで頼朝旗揚げ物語の企画展を行なっていました

全期間展示として、八重姫の入水伝説と侍女6人の自刃伝説の物語が紹介されています



伊豆の国市立中央図書館 【Google Map】
【住所】 日本、〒410-2315 静岡県伊豆の国市田京167−7
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八重姫と八重姫ゆかりの真珠院も登場しています

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