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伊豆ひとり旅

千鶴丸の最期 稚児ケ淵 伊東祐親の娘 八重姫と源頼朝の子の伝承

伊東市を流れる伊東大川・松川の上流にある稚児ケ淵

伊豆の大室山から流れ出た溶岩の中にできた柱状節理がそびえる渓谷です

淵の名前は今は稚児ケ淵が一般的だそうですが、くもが淵、とどろきが淵、松枝が淵など呼ばれてきたところ

源頼朝と伊東八重姫の子

千鶴丸の最期の地

悲しい物語の伝承の地です

伊豆・伊東・温泉ガイド

千鶴丸 最期の地 伊東祐親 稚児ケ淵の悲しい物語

稚児ケ淵 渓谷
稚児ケ淵 渓谷

伊東祐親の指示で稚児ケ淵に沈められた源頼朝と八重姫の子 千鶴丸

伊東祐親の指示で源頼朝と八重姫の子である千鶴丸が石をくくりつけられ沈められたと伝わる松川・伊東大川上流の稚児ケ淵

伊東祐親が京都での役目のため留守にしている間に源頼朝と八重姫との間にできた子が千鶴丸です

千鶴丸が3歳のころ、京での役目を終えて伊東に帰ってきた伊東祐親に見つかってしまいます

平家の家人である伊東祐親にとって、監視していた流人、源氏嫡流源頼朝の男子を生かしておくことはできませんでした

千鶴丸殺害にとどまらず頼朝を襲撃するという計画もありましたが、実行前に頼朝が伊豆山走り湯権現へと逃げたため、頼朝襲撃は失敗しました

稚児ケ淵 大室山から流れ出た溶岩 柱状節理の渓谷

大室山から流れ出た溶岩、柱状節理、伊豆大川の流れにより削り出された渓谷

道路から渓へ谷の急な坂道を川の近くまで下ったところに見えてくるのが稚児ケ淵です

千鶴丸の最期の地は、この場所だったということではなく、このあたりの渓谷のこういう雰囲気の場所であったであろうということのようですが、千鶴丸の悲話伝承の地です

渓谷へと降りる道は急ですし、通れないところもあるので気をつけましょう

天気の悪い時は危ないと思います

稚児ケ淵入り口
稚児ケ淵入り口

千鶴丸 最期の地 稚児ケ淵への行き方

稚児ケ淵は伊東大川・松川の上流部にあります

松川湖、奥野ダムの少し下

伊東大川東側沿いに通る県道12号線伊東修善寺線からは入ることはできません

伊東大川西側沿いの細い山道の道路になります

稚児ケ淵へ 伊東駅から東海バスで八代田バス停まで

今回は車ではなく、伊東駅からバスと徒歩で稚児ケ淵へ行きました

伊東駅前バス路線図
伊東駅前バス路線図

伊東駅前にある東海バスのバス乗り場4番

かどの球場、十足、萩車庫行きの路線にある八代田バス停から歩きました

東海バス八代田
東海バス八代田

八代田バス停から伊豆大川沿いの坂道を20分くらい登ったところです

バス停を降りたところには鎌田城ハイキングコース入り口の案内板がありました

鎌田城ハイキングコース
鎌田城ハイキングコース

このあたりは鎌田城跡のふもとになります

鎌田城ハイキングコース
鎌田城ハイキングコース

稚児ケ淵へ 伊東大川沿いの坂道を20分ほど登る

だいたい600mから700mくらいでしょうか

八代田バス停から伊東大川沿いにゆるめの坂道を歩いて渓谷を登って行きます

伊東大川上流
伊東大川上流

万葉の小径という名前が書いてありました

八代田バス停から稚児ケ淵へ
八代田バス停から稚児ケ淵へ

登り道ですから伊東大川からはだんだん離れて行きます

稚児ケ淵への道
稚児ケ淵への道

稚児ケ淵へ 伊東大川 土石流危険渓流

稚児ケ淵への道
稚児ケ淵への道

土石流危険渓流の案内板がいくつかありました

溶岩を削り出した渓谷を流れる渓流です

山からいく筋も小さな水の流れが注いでいます

大雨のときなどは近づいてはいけない渓流でしょうね

稚児ケ淵への道
稚児ケ淵への道

緩やかな坂道を山の中に入って行きます

稚児ケ淵への道
稚児ケ淵への道

伊東大川を挟んだ対岸の先には県道がありますから途中までは建物も見えています

稚児ケ淵への道
稚児ケ淵への道

歩いている途中で車とすれ違いました

一台だけでしたが、道は広くないですから気をつけましょう

稚児ケ淵への道
稚児ケ淵への道

稚児ケ淵 伊東大川の渓谷 急坂を降りて柱状節理の谷へ

稚児ケ淵 伊東大川 入口 ジオパークの案内板

稚児ケ淵入り口
稚児ケ淵入り口

稚児ケ淵の入り口に着きました

伊豆のジオパークの案内板と歌碑があります

案内板と歌碑の間を降りたところが稚児ケ淵です

稚児ケ淵 入り口の歌碑
稚児ケ淵 入り口の歌碑

稚児ケ淵 伊東大川 急坂を降りて渓流へ

稚児ケ淵入り口
稚児ケ淵入り口

歌碑と案内板の間に渓流へと降りる道があります

急な坂道です

稚児ケ淵 堤
稚児ケ淵 堤

伊東大川の流れが見えてきます

稚児ケ淵 伊東大川の崖と淵 柱状節理

稚児ケ淵 柱状節理
稚児ケ淵 柱状節理

対岸には切り立った柱状節理の崖です

崖の向こう側が県道ですから、県道側からは入ってこれません

稚児ケ淵 渓谷
稚児ケ淵 渓谷

木がけっこう多く崖の岩肌が少し見づらいので柱状節理の岩の様子はあまりよく見えませんでした

でも崖に囲まれた険しい渓流であることはよくわかりました

稚児ケ淵 渓谷
稚児ケ淵 渓谷

土石流を防ぐ堤がありますから、今は自然のままの淵というわけではありません

降りてくる道も伊東大川の土石流を防ぐ整備のための道だったのではないでしょうか?

稚児ケ淵 渓谷
稚児ケ淵 渓谷

道路も渓流への道も土石流防止の堤も整備されていない時代には、さらに険しい渓谷だったのでしょう

穏やかな雰囲気の河原や涼しげな渓流という感じのところではなかったのだと思います

小さな子供にはとても恐ろしいところだったのではないでしょうか

このあたりでふしづけにされ、石をくくりつけられ沈められた千鶴丸は、富戸の三島神社のある宇根に流れ着いたそうです

南伊東の近くには、稚児ケ淵へ向かう途中で、千鶴丸をあやすため、なぐさめるために握らせたタチバナの小枝を折ったお宮と言われる火牟須比神社があります

このあと火牟須比神社に寄りつつ南伊東まで歩いて戻ってから、富戸三島神社・産衣岩・宇根にも行ってきました



稚児ヶ淵 【Google Map】
【住所】 日本、〒414-0054 静岡県伊東市鎌田
電話番号・URL・Plus Code・施設情報・口コミなどはMapをクリック

千鶴丸の最期 千鶴丸と八重姫の伝承 ゆかりの地

千鶴丸 最期の地 伊東 火牟須比神社

千鶴丸が稚児ケ淵に沈められる時に握っていたタチバナの小枝のお宮が火牟須比神社です

南伊東から稚児ケ淵へ向かう途中にあります

稚児ケ淵へ千鶴丸を連れて行く途中でお宮に立ち寄ったのですね

千鶴丸 最期の地 富戸 宇根海岸 三島神社

千鶴丸が伊東大川から流れ着いて埋葬された富戸の宇根の海岸

千鶴丸の衣服を乾かしたと伝わる産衣石

千鶴丸は富戸三島神社の若宮八幡として祀られています

千鶴丸供養 八重姫と北条義時が建立 最誓寺 伊東

伊東の最誓寺は北条義時と八重姫が千鶴丸の供養のために建てたお寺と伝わっているようです

八重姫は北条義時と結ばれたのでしょうか?

千鶴丸と八重姫の伝承の地 真珠が淵 伊豆韮山

北条の本拠地、伊豆韮山では、千鶴丸の母親、源頼朝の最初の妻の八重姫は、北条政子と結婚してしまった源頼朝に会わせてもらえず、真珠が淵に身を投げて命を絶ったと伝わります

千鶴丸と八重姫 鎌倉殿の13人 坂井孝一先生の新書

鎌倉殿の13人の時代考証を担う坂井孝一先生の新書

伊豆流人時代の源頼朝、八重姫、北条義時の関わり合いについて記述されています

千鶴丸生存説 伊東祐親によって甲斐へ逃された

千鶴丸生存説 八重姫・千鶴丸考 伊東まで氏著

伊東祐親は千鶴丸を生かし甲斐国へ逃すとともに、殺害したことにしたという説を残している方がいます

大仁町の女塚史跡公園にある八重姫の侍女を供養する女塚の碑の由来概説に記述されている伊東まで氏著の「八重姫・千鶴丸考」がその説です

千鶴丸は生き延び、甲斐に逃され、その後、島津家の祖、島津忠久となり、源頼朝に仕えたという説です

千鶴丸とは異なるようで諸説ありますが、島津家には島津忠久の出自は源頼朝の庶子・ご落胤という伝承が残されています

伊東祐親は八重姫にさえも伝えず、千鶴丸を逃したので、八重姫は入水し亡くなり、頼朝が千鶴丸が生きいてることを知るのもだいぶ後になってからとなってしまったとのこと

「八重姫・千鶴丸考」は古書で購入できるところが見つからなかったので図書館などで探してみてください

国会図書館に所蔵されており、国会図書館のページをみると所蔵されている公立図書館がわかります

横浜市の図書館には所蔵されていて読むことができました

伊東温泉おすすめ
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