伊東家の菩提寺
伊東市にある東林寺
伊東祐親が建立し、河津三郎祐泰・伊東祐泰の菩提を弔ったお寺です
河津三郎祐泰の墓と並んで、祐泰の子の曽我十郎祐成・曽我五郎時致の曽我兄弟の首塚があります

東林寺 伊東家菩提寺 伊東市
東林寺 伊東祐泰の菩提を弔う 伊東祐親が建立
東林時は伊東祐親が建立したお寺で、息子である河津三郎祐泰(伊東祐泰)の菩提を弔ったお寺です
工藤一族の所領争いで、伊東祐親に所領を奪われる形となった工藤祐経は、伊東祐親を恨み暗殺を企て、祐親・祐泰親子を襲撃し、祐泰を殺害します
曽我兄弟の曽我十郎祐成・曽我五郎時致は河津祐泰の子
祐泰が殺害されたのち、祐泰の妻は曽我祐信と再婚し、幼い兄弟も曽我の地へと移りました
こちらは伊東祐親の墓所のある丘の上から降りる坂の途中からみた東林寺です
坂を降ったところには伊東家の祈願所の葛見神社もあります

東林寺 曹洞宗のお寺 伊東市馬場町

東林寺の門
そしてこちらが本堂です

東林禅寺
曹洞宗のお寺です
龍のきれいな彫刻が施されていました

東林寺 伊東家の菩提寺

東林寺は伊東家の菩提寺
建立されたのは12世紀の中頃、約850年前です
本堂の中には伊東家の一画があり、伊東祐親や河津三郎祐泰などの伊東家の一族の位牌があり、伊東祐親や千鶴丸の木像もあります
相撲が強かった河津三郎祐泰は、相撲の技のかわづがけの名を残しています
東林寺 河津三郎祐泰・曽我兄弟の墓

工藤祐経に殺された河津三郎祐泰
幼かった十郎と五郎の兄弟は成長後、源頼朝の富士の巻き狩りの際に、工藤祐経を襲い、仇討ちを果たします
曽我兄弟の仇討ち事件です
曽我物語は、一連の伊東一族のお家騒動を中心とした物語
工藤祐経を討つだけでなく、五郎時致が源頼朝をも襲撃しようとしたことから、頼朝暗殺未遂事件とも言われる一大事です
曽我兄弟の菩提寺は、小田原の曽我の城前寺に墓・供養塔がありますが、祐泰と曽我兄弟の親子の墓と首塚が東林寺に並んでいます
東林寺 河津三郎祐泰・曽我兄弟の墓へ登る

本堂の左側にある鐘つき堂
鐘つき堂の横には山に登る参道があります

この参道が河津三郎助安の墓への参道です

河津三郎祐泰・曽我兄弟 3つの供養塔
参道を登ったところに並んでいる3つの供養塔
左が河津三郎祐泰、真ん中が曽根十郎祐成、右が曽我五郎時致です

河津三郎祐泰・伊東祐泰の墓

左側の柵に囲まれた墓が河津三郎祐泰の墓

曽我十郎祐成の首塚 曽我兄弟の墓

真ん中の曽根十郎祐成の首塚

曽我五郎時致の首塚 曽我兄弟の墓

右側の曽根五郎時致の首塚

山の中に並ぶ、3つの供養塔

参道は急な山道です
長さはそれほどありませんがお気をつけください

伊東祐親の墓 東林寺の向かい側 東側の丘の上
伊東祐親の墓所 供養塔 五輪塔

伝伊東祐親の墓所
東林寺の東の向かい側の丘の上、物見塚公園から300mほどのところです
伊東家の館跡があった伊東市役所のある物見塚公園、伊東家の祈願所の葛見神社、伊東祐親造立の東林寺、そして伊東家の子孫が造立した伊東祐親の五輪塔
このあたりは伊東家のゆかりの史跡が周囲にあるところ

東林寺への行き方
東林寺への行き方 伊東市 伊東温泉
東林寺は伊東温泉のある伊東市の南側の山際にあります
伊東ホテルニュー岡部の前の伊東大川にかかる岡橋から南東へ500mくらいのところです
岡橋といえば音無神社や日暮神社も近いところ
岡橋からならわりと平坦な道を歩いて行くことになります
今回は歩きですが、上り下りのある遠回りのルートで回りました
日暮神社ー音無神社ー最誓寺ー国道135号線の登り坂ー伊東家館跡(物見塚公園)ー伊東祐親墓所ー丘から坂を下るー葛見神社ー東林寺ー岡橋
あわせて3kmくらいの距離で上り下りもありますから、いい感じのウォーキングになりました
東林寺 【Google Map】
【住所】 日本、〒414-0033 静岡県伊東市馬場町2丁目2−19
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曽我兄弟の菩提寺 城前寺 小田原
曽我兄弟の墓のある菩提寺 城前寺
小田原の下曽我、曽我梅林の近くにありますので、梅の季節がおすすめです