2.鎌倉ひとり旅

木曽義高・大姫の墓と伝わる常楽寺裏 粟船山


木曽義高の墓、大姫の墓と伝わる大船の常楽寺の裏山へ

今泉から大船へ行く途中で木曽義高・大姫の墓と常楽寺に立ち寄りました

2021年5月30日

梅雨入り前で歩くのにちょうど良い季節です

粟船から転じて大船の地名になったのですね

木曽義高の墓

木曽義仲の子 源頼朝の娘 大姫と婚約し鎌倉へ

木曽義仲の子の嫡男 木曽義高

対立していた源頼朝と源義仲の和議のため、ほぼ人質ではあるものの11歳で大姫の婿として鎌倉へきた義高です

義仲のほうが平氏を破って京都に入るわけですが、うまく京を治められず、頼朝が送った義経と範頼の義仲追討軍に破れて討ち死にしてしまいます

義仲が殺されたことで、義高の身は危なくなり、大姫らが義高を逃がすものの追手に捕らえられ殺されてしまいます

義高は12歳、大姫はまだ7歳

悲嘆にくれて病床に伏してしまいました

もともと義高の墓はこの粟船山とは別のところ、常楽寺の近くの木曽免という田んぼの中にあったものを1680年に移したそうです

木曽塚 大船むくどり公園の奥にあります

大船の常楽寺、粟船山の一帯は三菱電機と大船中央病院の東側にあります

常楽寺から登ってくることもできますが、今泉から歩いてきたので上の大船むくどり公園から入りました

常楽寺の裏山に小さな公園が2つあります

こちらは大船ほたる公園

ここではありません

大船ほたる公園
大船ほたる公園

大船むくどり公園

階段の上です

大船むくどり公園
大船むくどり公園

こちらも小さい公園です

大船むくどり公園
大船むくどり公園

ベンチと小さな遊具と鉄棒が有るくらい

大船むくどり公園
大船むくどり公園

イタチですかね?

大船むくどり公園
大船むくどり公園

奥側に子供用の鉄棒があるのですが、こちらが木曽塚への入口です

大船むくどり公園
大船むくどり公園

フェンスに入口があります

木曽塚の入口というわけでもなく、何の表示も案内板もありません

常楽寺側や裏手の墓地への通用口みたいなところです

大船むくどり公園 木曽塚入口
大船むくどり公園 木曽塚入口

木曽塚 粟船山の小さな塚

大船むくどり公園 木曽塚
大船むくどり公園 木曽塚

小さな塚、卒塔婆、墓石

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

5月の下旬、端午の節句の鯉のぼり

享年12歳ですから小学校を出るか出ないかというくらいの年齢です

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

木曽清水冠者義高公の墓と書かれています

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

塔婆のほうにも鯉のぼりがありました

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

旧暦の4月26日に武蔵国、埼玉の入間川で捕らえられました

新暦だと6月のはじめですからもうすぐです

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

塚の脇には大きな木があります

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

木漏れ日はありますが、木々に囲まれているので見晴らしはよくないです

墓の正面は鎌倉の方向です

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

木が多くて、よくみえない

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

大正時代に建てられた石碑があります

木曽塚から右の道を下に降りていくと姫宮の墓、常楽寺です

木曽塚 木曽義高の墓
木曽塚 木曽義高の墓

姫宮の墓 粟船稲荷 大姫の墓の言い伝えがある墓

姫宮の墓 粟船稲荷 木曽塚の下にあります

木曽塚から階段を降りていきます

木曽塚から姫宮の墓へ
木曽塚から姫宮の墓へ

木曽塚のすぐ下です

木曽塚から姫宮の墓へ
木曽塚から姫宮の墓へ

踊り場のようになっているところに姫宮の墓、粟船稲荷があります

粟船稲荷と姫宮の墓
粟船稲荷と姫宮の墓

手前にあるのが姫宮の墓、この少し奥にあるのが粟船稲荷です

大姫の墓とも伝わる姫宮の墓

義高の死後、病に伏せってしまう大姫

義高を捕らえて首を持ち帰ってきたのは藤内光澄

母の北条政子は、光澄の不手際で大姫に義高の死が伝わったせいだと怒り、光澄は晒し首にされてしまいます

大姫はこの後も義高のことが忘れられず、病がちで20歳の若さでこの世を去ってしまいす

野辺送りの地に建てられたのが大姫の守本尊を祀っている亀ヶ谷辻の岩船地蔵堂です

粟船稲荷と姫宮の墓の文字がだいぶ消えかかっていますね

粟船稲荷と姫宮の墓
粟船稲荷と姫宮の墓

姫宮の墓は大姫の墓とも伝わるのですが、北条泰時の娘の墓とも言われています

江戸時代に書かれている『新編鎌倉志』『鎌倉攬勝考』では「姫宮」を北条泰時の娘の墓としています

すぐ下の常楽寺は三代執権北条泰時が義母の供養のために建てた粟船御堂が起こりで泰時の墓所もあります

大姫の死は義高の死後13年経っていて、その当時はこことは別の木曽免が義高の墓、木曽塚の場所に移されたのは江戸時代です

北条政子は大姫の供養のために、幕府の近くにあった勝長寿院に南新御堂を建てたという記録があります

勝長寿院は今はもうありません

『粟船山常楽寺略記』では常楽寺は北条政子が大姫の供養のために建てた仏堂が起りと書かれているそうですが、常楽寺の起こりは北条泰時の義母の供養が起こりとされています

粟船稲荷と姫宮の墓
粟船稲荷と姫宮の墓

姫宮の墓の上には木曽塚の大きな木が見えていました

義高の墓の近くにある姫宮の墓が大姫の墓

そうかもしれないし、そうでないかもしれません

粟船稲荷と姫宮の墓
粟船稲荷と姫宮の墓

姫宮の墓は小さな祠

粟船稲荷と姫宮の墓
粟船稲荷と姫宮の墓

木の札のよこには小さな鯉のぼりと風車がありました

粟船稲荷は少し奥にあります

白と金の2組のお稲荷さんがおいてありました

粟船稲荷と姫宮の墓
粟船稲荷と姫宮の墓

鎌倉は室町時代に鎌倉公方が古河に逃れた後は、寂しい農村と漁村になってしまっています

北条の城が築かれたのは鎌倉の地ではなく、大船駅の西側の玉縄地区にあった玉縄城です

江戸時代になってから寺社へのお参りなどで訪れる人が増え、その後は別荘地にもなります

室町時代から江戸時代にかけて、寂しいところになってしまいましたから、今も残っているような寺社以外は消えてしまったところが多いのですね

かつてはここにあったということを示しているのが大正時代から建てられるようになった鎌倉町の青年団の史跡案内石碑、特に案内板のないところも多かったわけです

でも、何もなくても、かろうじて目印になるものが残っているだけでも、ここにかつてはあったという地を訪れるのもいいものです

木曽塚・姫宮の墓へは常楽寺から登ってくることもできます

木曽塚と姫宮の墓のある粟船山の下は常楽寺の境内です

境内の中から直接ではなく、門の左側から入ることになりますが、常楽寺の裏に回って、坂をのぼると姫宮の墓と木曽塚です

木曽塚と姫宮の墓への道
木曽塚と姫宮の墓への道



木曾塚(木曽義高の墓)
【住所】 日本、〒247-0056 神奈川県鎌倉市大船5丁目15−19
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常楽寺の近くにある常楽寺交差点には粟船堂菓子店という小さな古い和菓子屋さんがあります

大船で和菓子のお土産をどうぞ