畠山重忠嫡男の畠山重保の墓と伝わる地が横浜市金沢区にあります
横浜環状4号線の朝比奈・上総介供養塔があるあたりの北側へ1kmほど
高舟台の住宅地へのぼり、白山道が通る六郎ヶ谷の地名が残る谷へ降りたところ
横浜市金沢区釜利谷の白山道周辺は、古くは鎌倉と六浦湊を結ぶ軍事的には経済的にも重要な交通路であり、金沢北条氏にもゆかりの深いところです
畠山重忠と畠山重保にまつわる史跡が残っています
鎌倉の山と海歩きハイキング畠山重保 畠山重忠嫡男 畠山六郎重保
畠山重保 畠山重忠と北条時政の娘の子 畠山重忠の乱
畠山重忠と正室・北条時政の娘との子で嫡男とされたのが畠山六郎重保です
坂東武士の鑑と言われた畠山重忠ですが、北条氏との確執の末、畠山重忠の乱で滅びてしまいます
畠山重保と北条時政の後妻の牧の方の娘婿・平賀朝雅との酒席での言い争いから確執が始まったと言われます
畠山重忠に謀反の疑いがかけられ、畠山重保は由比ヶ浜で三浦義村に討ち取られ、急を聞いた重忠は鎌倉へわずか134騎で駆けつけようとしたところ、二俣川で北条時政の命により派遣された北条義時率いる追討軍の万を超える大軍を迎え撃つことになり討死
畠山重忠が無実であったことから、北条時政は失脚、北条義時・政子が実権を掌握することになります
伝畠山重保墓 畠山六郎重保公廟所

伝 畠山重保の墓 畠山六郎重保公廟所
畠山重保は、自分が謀反の疑いをかけられているとは知らないまま、謀反人がいると由比ヶ浜に呼び出されたところ、北条時政の命を受けた三浦義村に討ち取られたと言われています
しかし、横浜市金沢区の釜利谷には伝わっているのは、畠山重保はこのあたりの山中まで逃れてきて自害したという話です

伝畠山重保公墓は釜利谷の白山道が通る谷間にあります

奥まったところにあり、ちょっとわかりにく場所ですが、五輪塔のまわりは広く整地されていました

普段は囲いの中には入れないようで、囲いの外からみました
まわりは山と森に囲まれていて、緑の多いところです

伝 畠山重保の墓 横浜市金沢区釜利谷
伝畠山重保の墓は横浜市金沢区釜利谷の谷にあります
この谷には鎌倉と六浦湊・称名寺を結ぶ古道・白山道が通っています
近くの白山道バス停の路線は京急線金沢文庫駅からの京急バスです
伝畠山重保墓 【Google Map】
【住所】 日本、〒236-0045 神奈川県横浜市金沢区釜利谷南1丁目4−22
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畠山六郎重保の名の残る釜利谷白山道周辺
白山道六郎ヶ谷公園

畠山重保の墓のすぐ近くにある白山道六郎ヶ谷公園
白山道トンネルのすぐ近くです

畠山六郎重保の六郎の名がついています

2022年4月24日
白山道六郎ヶ谷公園のつつじがきれいでした

伝 畠山重保の墓 最寄りのバス停 白山道

畠山重保の墓の最寄りのバス停は京急バスの白山道
白山道バス停から200mくらい南側に畠山重保の墓があります
バス停のすぐ近くには六郎橋という小さな橋もあります
バス停のある場所は釜利谷南公園の入り口です

六郎橋

白山道バス停のすぐ前にあるのが六郎橋
白山道の橋だったのでしょうね
釜利谷の谷から六浦に流れ込む川に架かっていたのでしょう

白山道 畠山重忠開基の東光禅寺

六道橋から白山道を100mほど西へ行くと畠山重忠開基と伝わる東光禅寺があります
今の鎌倉宮大塔宮の場所にあったと言われる東光寺が釜利谷に移され東光禅寺となったと東光禅寺の縁起にはあります
境内には畠山重忠供養塔があり、本尊薬師如来坐像は畠山重忠の念持仏として尊崇されてきたそうです

畠山重忠・畠山重保 ゆかりの地
畠山重保邸跡・畠山重保供養塔 鎌倉 由比ヶ浜
畠山重保は由比ヶ浜で討ち取られたとされていて、鎌倉の由比ヶ浜、若宮大路に畠山重保邸跡と供養塔があります
畠山重保邸跡、重保供養塔 【Google Map】
【住所】 日本、〒248-0014 神奈川県鎌倉市由比ガ浜2丁目14
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畠山重忠の乱古戦場跡 横浜 二俣川
横浜市旭区の二俣川・鶴ヶ峰周辺が畠山重忠の乱の古戦場跡・畠山重忠終焉の地とされています
近くには畠山重忠にまつわる史跡がいくつかあり、また、万騎が原という地名があります
もとは「牧」の字だったところが北条義時の万の大軍が派遣された地ということで「万騎」とされたという説があります
畠山重忠の乱古戦場跡 【Google Map】
【住所】 日本、〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1
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鎌倉の身近な秘境と歴史
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