小田原ひとり旅

石橋山の合戦 石橋山古戦場 源頼朝大敗北の合戦跡

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2022年1月27日

石橋山古戦場です

治承四年八月十七日

1180年8月17日の挙兵後、源頼朝は鎌倉へ向け、東へ向かいました

8月20日伊豆を立ち、今の湯河原町、土肥実平の治める相模国土肥へと進みました

8月23日、平家方の大庭景親の3000騎の軍と300騎で対峙したのが石橋山です

小田原早川駅から歩きました

石橋山の合戦 石橋山古戦場への行き方・場所

小田原 石橋山
小田原 石橋山

石橋山古戦場 石橋料金所の近くです

石橋山古戦場の入口は西湘バイパスの石橋インターチェンジ・石橋料金所の近くにあります

国道135号沿いにある鈴廣かまぼこ石橋店に石橋山古戦場と佐奈田霊社の入口の案内表示がありました

石橋山古戦場への道
石橋山古戦場への道

交通量が多い道路なので、ちょっと入りにくいですね

今回は早川駅から歩いてきました

小田原の早川駅から南に2kmほどのところに石橋山古戦場があります

石橋山古戦場への道
石橋山古戦場への道

石橋山の合戦 石橋山古戦場の入口

坂を登っていくと、石橋山古戦場と佐奈田霊社への入口が見えてきます

佐奈田霊社は駐車場があります

石橋山古戦場への入口
石橋山古戦場への入口

入口に曲がってすぐのところ

JR東海道線の線路

線路に沿って、右に曲がって登ると石橋山古戦場です

石橋山古戦場への入口
石橋山古戦場への入口

石橋山古戦場 案内図

入口のところにある石橋山古戦場案内図です

今は石橋山古戦場のあたりはみかん畑ですね

石橋山古戦場
石橋山古戦場

東海道線に沿って山の上へと登っていくと石橋山古戦場です

石橋山古戦場 東海道線
石橋山古戦場 東海道線

入口から東海道線のトンネルの上に見えるのが石橋山古戦場の石碑

石碑の先に登っていくと佐奈田霊社があります

石橋山古戦場 東海道線
石橋山古戦場 東海道線

石橋山の合戦 石橋山古戦場の石碑

石橋山古戦場 石碑

石橋山古戦場碑
石橋山古戦場碑

石橋山古戦場といえば、こちらの石碑が有名です

石橋山は今はみかん畑の山なので、他のところを写真に撮ってもなんのことだかわからないのでしょう

石橋山古戦場碑
石橋山古戦場碑

東海道線のトンネルのすぐ上にありますから、登ればすぐにわかります

石橋山古戦場の狭い入口

石橋山古戦場 東海道線
石橋山古戦場 東海道線

石碑のところから見た入口の様子

踏切は使われていません

石橋山古戦場と佐奈田霊社
石橋山古戦場と佐奈田霊社

石碑からまっすぐ登ると佐奈田霊社と佐奈田霊社の駐車場

左へ曲がると石橋山古戦場の跡地と伝わるみかん畑の山と文三堂です

石橋山の合戦 石橋山古戦場 佐奈田与一の史跡

北条時政、北条宗時、北条義時の北条勢も石橋山合戦に参戦

NHKの鎌倉殿の13人は北条義時の物語なので、北条勢が主に登場しますが、ここ石橋山の地では、佐奈田与一義忠が主要人物となっています

佐奈田与一義忠は三浦氏の一族で岡崎義実の息子、平塚の真田の地を領していました

佐奈田与一義忠討死の地 ねじり畑

石橋山古戦場 ねじり畑
石橋山古戦場 ねじり畑

石橋山古戦場のほうへと行ってみると佐奈田与一義忠討死の地とされているねじり畑

佐奈田与一は源頼朝の軍の先陣の武将です

軍勢の総数は大庭3000騎と頼朝300騎の戦いですが、先陣の戦いは75対15で始まったそうです

頼朝方の先陣が武勇に優れる佐奈田与一義忠だとわかると73騎馬が与一に群がり73対1の戦いに

大庭景親の弟の俣野景久との戦いとなり、一度は組み伏せたものの、その前に敵方を斬ったときの血のりのため刀が鞘から抜けず、駆けつけた長野新六に討たれたという地です

佐奈田霊社 与一塚

佐奈田霊社
佐奈田霊社

石橋山古戦場にある佐奈田霊社は、佐奈田与一義忠を祀る神仏習合の社です

廃仏毀釈の嵐をかいくぐって残った貴重な霊社

後鳥羽天皇の勅許でできた霊社であったので、天皇の命による社ということで廃仏毀釈の手が及ばなかったと聞きました

佐奈田霊社 与一塚
佐奈田霊社 与一塚

与一塚は与一を葬った地として伝わるところです

後日、源頼朝は与一塚を訪れた時に涙したと伝わります

文三堂 文三家安 佐奈田与一義忠郎党

石橋山古戦場 文三堂
石橋山古戦場 文三堂

佐奈田与一義忠の郎党の文三家康

佐奈田与一を追って、適中に飛び込み8人を討ち取るものの討たれてしまいました

石橋山古戦場 文三堂
石橋山古戦場 文三堂

石橋山の合戦 石橋山古戦場の急斜面と狭い入口

V字の谷の急斜面 みかん畑

石橋山古戦場のみかん畑
石橋山古戦場のみかん畑

みかん畑の山へと進み、石橋山古戦場の様子を見てみました

このあたりは箱根の外輪山が海へと迫る地です

どれくらい当時の地形を残しているかわかりませんが、急峻な山と谷が海岸寸前まで続いています

石橋山古戦場のみかん畑
石橋山古戦場のみかん畑

佐奈田霊社・与一塚があるところは少し高くなっています

石橋山古戦場のみかん畑
石橋山古戦場のみかん畑

源頼朝勢300対大庭景親勢3000と伝わりますが、3000騎が一気に攻め寄せるのは難しいところですね

さらに夜の暗闇の中での合戦です

応援に駆けつけるはずの三浦勢が増水した川を渡れずに立ち往生している数的に有利なうちに攻めなければなりませんでしたからね

結果的には山の中へと源頼朝らを逃してしまうことになります

石橋山古戦場のみかん畑
石橋山古戦場のみかん畑

今はみかん畑ののどかな山

石橋山古戦場のみかん畑
石橋山古戦場のみかん畑

古戦場から見える小田原の海岸です

狭い入り口 東海道線の踏切(閉鎖)

佐奈田霊社の方に石橋山に伝わる口伝の話をしていただけました

海側から登る石橋山の入口は狭く、大軍が急峻な山へ登り、源頼朝の陣へ押し寄せるというのは難しかったらしいです

石橋山古戦場 東海道線の踏切跡
石橋山古戦場 東海道線の踏切跡

東海道線の閉鎖されている踏切

踏切の先には石橋山の谷です

大庭景親勢は、このあたりから攻めたらしいです

石橋山古戦場 東海道線の踏切跡
石橋山古戦場 東海道線の踏切跡

海岸に迫る箱根の外輪山の裾

石橋山古戦場から相模湾
石橋山古戦場から相模湾

山と海の間の狭いところに国道135号が通っています

こうみても小田原からの海沿いも狭いですし、石橋山へと登る場所も限られています

石橋山古戦場から相模湾
石橋山古戦場から相模湾

東海道線はトンネルを掘って通していますから、国道より少し高いところにあります

この後は東海道の線路沿いに根府川駅まで歩きました

根府川駅から真鶴駅まで電車で移動し、真鶴の岩海岸へと向かいました

源頼朝が安房へ向けて小舟で出帆した地です

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