伊豆ひとり旅

日暮神社 ひぐらしの森 八重姫を待った源頼朝

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2021年12月28日

伊東温泉のホテルや旅館の立ち並ぶ伊東大川の近くにある日暮八幡神社

日暮神社・日暮八幡神社はひぐらしの森と呼ばれた場所にあります

伊豆に流され伊東の北の小御所で流人として伊東家に監視され暮らしていた源頼朝

伊東祐親の娘である八重姫と松川(伊東大川)の対岸にある音無神社で会う前に、日暮れまで待っていたと言われる場所がひぐらしの森です

日暮神社・日暮八幡神社 伊東温泉 伊東大川のほとり

日暮八幡神社 行き方 伊東大川の近く

日暮八幡神社は伊東温泉を流れる伊東大川沿いにあります

伊東駅から1kmちょっと、歩いて15分くらいの場所です

東海館あたりからだと600mくらいです

伊東市立西小学校の交差点の近くには西校前バス停もあります

伊東市立西小学校
伊東市立西小学校

日暮神社 ひぐらしの森は伊東温泉のホテル街の中

伊東駅のほうから歩いて行きましたが、西小学校を通り過ぎ、すき家のある角を曲がりました

伊東大川沿いは伊東温泉の温泉ホテルも立ち並ぶところです

今はこの地に森はありませんが、境内にある大きな木が見えてきました

日暮八幡神社
日暮八幡神社

冬の寒い朝、温泉街らしく白い湯気も出てました

ひぐらしの森で伊東の八重姫を待つ源頼朝の伝承

ひぐらしの森で伊東の八重姫を待つ源頼朝

日暮八幡神社
日暮八幡神社

1160年、源頼朝は14歳のときに伊豆へ流罪となりました

平家の家人である伊東家が監視役だったようで、監視役である伊東祐親との逸話が残されています

伊豆に流され一時期、伊東の北の小御所に暮らしていた流人 源頼朝

若き源頼朝が伊東祐親の娘である八重姫と逢瀬を重ねた地として伝わるのが音無神社のある音無の森とひぐらしの森です

源頼朝は八重姫に会うために日が暮れるまでの間、ひぐらしの森で待っていたそうです

流人と監視役の娘との恋愛です

後に悲しい結末を迎えることになります

ひぐらしの森と日暮八幡神社
ひぐらしの森と日暮八幡神社

音無の森で逢瀬を重ねた源頼朝と八重姫

伊東温泉を流れる松川(伊東大川)の西岸にあるのがひぐらしの森

東岸にあるのが音無神社のある音無の森です

伊東家の館があったと言われる物見塚公園は東岸の先の坂の上にあります

物見塚公園は、伊東を一望できる丘にあり、伊東祐親像や伊東家の館跡の碑があります

伊東市役所も建っています

ひぐらしの森と日暮八幡神社
ひぐらしの森と日暮八幡神社

日暮神社は小さな神社で今は森の中でもないのですが、境内には大きな木が何本かあります

どれくらいの樹齢がある木なのでしょう

明治期の絵図には森が描かれていると書いてありました

日暮八幡神社
日暮八幡神社

社だけの日暮神社

大木の下にはお稲荷さんの社がありました

日暮八幡神社
日暮八幡神社

日暮神社にお参り

日暮神社
日暮神社

日暮神社の稲荷社の黒猫

日暮八幡神社の猫
日暮八幡神社の猫

稲荷社の小さな社の中にいた黒猫

日暮八幡神社の猫
日暮八幡神社の猫

日暮神社をあとにするときにこちらをみていた黒猫

お参りだけして音無神社へと移動することにしました

日暮八幡神社
日暮八幡神社

日暮神社 ひぐらしの森から伊東大川へ

伊東大川 松川 対岸の音無神社 音無の森

日暮八幡神社の対岸
日暮八幡神社の対岸

日暮八幡神社から伊東松川沿いにでたところ、対岸に見えるのが音無神社のある音無の森です

源頼朝がひぐらしの森で日暮を待った頃、橋はあったのでしょうか?

ここから少し上流側にある岡橋を渡り音無の森へ行くことにしました

伊東大川 室生犀星の碑

室生犀星の碑
室生犀星の碑

伊東大川沿いにある室生犀星、じんなら魚の碑

伊東大川にかかる岡橋 源頼朝と八重姫のレリーフ

岡橋
岡橋

伊東大川にかかる岡橋

岡橋
岡橋

朝の岡橋

岡橋のレリーフ
岡橋のレリーフ

この岡橋に音無の森で会う源頼朝と八重姫のレリーフがあります

岡橋
岡橋

岡橋の上から見える音無の森

岡橋
岡橋

伊東ホテルニュー岡部の前にある橋です



日暮八幡神社 【Google Map】
【住所】 日本、〒414-0013 静岡県伊東市桜木町1丁目2−10
電話番号・URL・Plus Code・施設情報・口コミなどはMapをクリック

鎌倉殿の13人 源頼朝と八重姫

八重姫と源頼朝と北条義時の歴史

2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では源頼朝を大泉洋、八重姫を新垣結衣が演じます

八重姫は小栗旬演じる主役の北条義時の初恋の人という設定でもあるようです

伊東の伊東家と韮山の北条家

伊東祐親の娘と北条時政の間の子が、北条政子、北条宗時、北条義時、北条時房、阿波局

八重姫は伊東祐親の娘ですから北条義時とは叔母甥の関係にあたります

頼朝が伊豆に流されたのが1160年の14歳のころ

伊東祐親が源頼朝と八重姫の間を裂き、3歳の千鶴丸を殺害し、頼朝を襲撃しようとしたのが1175年

頼朝が29歳、義時が13歳のころと推測されるそうです

頼朝は、伊東祐親の息子の伊東祐清から、祐親が頼朝を襲撃しようとしていることと、祐清の烏帽子親である北条時政を頼るようにと勧められ、伊豆山の走り湯権現へと逃げ、その後北条時政を頼ったという経緯になるのだとか

伊豆の地方の中小豪族だった北条家が歴史の表舞台に立つきっかけとなる話

参考資料、鎌倉殿の13人の時代考証者である坂井孝一先生の書籍です

八重姫と源頼朝と北条義時 伊東と韮山

源頼朝は日が暮れるまでひぐらしの森で待ち、人目をはばかり音無の森で八重姫と会っていた

音無の森は伊東大川の対岸にあります

音無神社のとなりの最誓寺の縁起には二代執権北条義時とその室八重姫が立願したと書かれていました

八重姫は生きていて、北条義時と結婚したのでしょうか?

夫妻が千鶴丸の供養のために建てたお寺と伝わるそうです

源頼朝と八重姫の子、千鶴丸が沈められた伊東大川の上流の稚児ケ淵、伊東鎌田の火牟須比神社、流れ着いた富戸の海岸にある富戸三島神社

富戸三島神社には千鶴丸が祀られています

伊東周辺の千鶴丸のゆかりの地です

韮山の北条の本拠地近くに伝わる八重姫の入水伝承

八重姫を供養するための八重姫御堂が眞珠院にあります

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