伊豆ひとり旅

守山八幡宮 源頼朝挙兵 戦勝祈願の神社

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2021年12月28日

北条の本拠地 守山の守山八幡宮です

北条時政の墓のある願成就院の奥にあります

1180年の源頼朝挙兵の際、頼朝は守山八幡宮で戦勝祈願

この守山の地から山木兼隆攻めの戦果、館から火があがるのを見守ったそうです

源頼朝の挙兵はこの地から始まりました

守山八幡宮 源頼朝挙兵 戦勝祈願 守山の山麓

守山八幡宮 守山のふもと 願成就院の奥

守山八幡宮
守山八幡宮

願成就院の奥、守山の山麓にある守山八幡宮です

拝殿が守山のふもとにあります

源頼朝が、源家再興、平家追討、戦勝を祈願した守山八幡宮

守山八幡宮 源頼朝挙兵の碑

守山八幡宮
守山八幡宮

1180年から始まる治承寿永の乱

源頼朝の挙兵は、山木の平兼隆襲撃から始まります

源頼朝は挙兵目前の8月15日に守山八幡宮で平家追討を祈願

碑には山木の館から火煙があがるのを望み悦ぶことが書かれています

守山八幡宮 拝殿と本殿へ

守山八幡宮 拝殿

守山八幡宮
守山八幡宮

階段をあがって拝殿へ

まずは拝殿参拝

守山八幡宮
守山八幡宮

拝殿の奥に本殿へとのぼる階段が見えます

守山八幡宮
守山八幡宮

急な本殿への階段

守山の中腹にある本殿がみえます

守山八幡宮
守山八幡宮

階段の途中から見える韮山の街並み

街の向こうには山が見えます

山木の館は韮山の東の山のほうです

守山のどのあたりから戦況を眺めていたのでしょうか

守山八幡宮
守山八幡宮

守山八幡宮 本殿

守山八幡宮
守山八幡宮

守山八幡宮の本殿まで登ってきました

守山八幡宮
守山八幡宮

本殿までくると守山の木々で街の様子も東の山もあまり見えません

守山八幡宮
守山八幡宮

このあたりの地名は伊豆の国市寺家です

北条時政邸のあるあたりも地名は寺家です

北条の史跡が多数あります

北条義時邸跡のあたりは江間という地名

山木の館の跡あたりは山木

守山の南側は中條

伊豆長岡駅のあたりは南條

蛭ヶ島のあたりは四日町

山木や江間は今の地名に残っていますが、北条の地名はついていません

伊豆国北条の地名は吾妻鏡に登場しているそうですし、北條寺もあります

しかし中條、南條はあるのに北条や北條の地名がないです

北条氏が治めた時代にあった地名が、いつごろかに無くなったのでしょうか?

承久の乱や鎌倉幕府滅亡、北条氏は朝廷側と戦ったからでしょうか?

守山八幡宮
守山八幡宮

守山八幡宮 創建 大化三年 647年

本殿まで行くと創建が書かれていました

大化3年 647年

大化の改新の時代です

守山八幡宮
守山八幡宮

腰掛け石のような石がありましたが、なんでしょう?

守山八幡宮
守山八幡宮

年末ですが守山の森は紅葉していました

守山八幡宮
守山八幡宮

静かな山の中腹にある守山八幡宮です

守山八幡宮
守山八幡宮

守山八幡宮から眺める韮山の山々

守山八幡宮
守山八幡宮

守山八幡宮からは韮山の山木の館方向が見えます

源頼朝が挙兵時に居住していたと言われる北条時政邸は守山の北西にあります

守山の影になって山木の館の方は見えないようです

挙兵の準備は時政邸で行っていたと思いますが、戦況を見守るなら守山の東側の守山八幡宮のあたりではないでしょうか

守山八幡宮からなら山木の館の方角が見えそうで、火煙があがるのも見えたでしょう

援軍を送るのも戦況が伺える守山八幡宮からじゃないかななどと思いました



守山八幡宮 【Google Map】
【住所】 日本、〒410-2122 静岡県伊豆の国市寺家1204−1
電話番号・URL・Plus Code・施設情報・口コミなどはMapをクリック

守山周辺には北条氏にまつわる史跡が多数あります

守山は鎌倉北条氏のふるさと

北条氏の本拠地です

北条時政邸跡もあり、その他にも史跡が多数点在しています

北条の史跡巡りです

伊豆観光 北条氏と鎌倉の時代 史跡と歴史

伊豆観光 北条氏台頭と鎌倉時代の歴史

鎌倉殿の13人の時代考証・坂井孝一先生の北条義時に関する権力闘争史の書

参考にしています

北条氏が台頭する時代、平安末期から鎌倉時代初期にかけての歴史の書

「鎌倉殿の13人」時代考証を担当している坂井孝一先生の書籍です

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