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横浜観光

畠山重忠供養塔と重忠開基の東光禅寺 横浜 釜利谷

横浜市金沢区釜利谷の白山道沿いにある東光禅寺です

鎌倉宮大塔宮にあった東光寺が釜利谷の地に移され続いてきた禅寺で、開基は畠山重忠と東光禅寺縁起にあります

そして東光禅寺には畠山重忠のものと伝わる供養塔、畠山重忠の念持仏と伝わる鎌倉時代初期の木造薬師如来坐像があります

鎌倉の山と海歩きハイキング

畠山重忠開基の東光寺が起源とされる東光禅寺

横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺
横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺

畠山重忠開基 釜利谷 白山道沿い 東光禅寺

東光禅寺 白山道
東光禅寺 白山道

横浜市釜利谷の白山道は、鎌倉の朝比奈切通しから、六浦湊・称名寺へと通じる経済的にも軍事的にも重要な交通路でした

金沢北条氏や鎌倉幕府の重臣にも関係の深かった地です

この釜利谷の白山道周辺には、畠山重忠と畠山重保に関わる史跡があります

東光禅寺縁起では開基が畠山重忠、鎌倉宮大塔宮にかつてあった東光寺が釜利谷に移されたお寺とされています



臨済宗 東光禅寺 【Google Map】
【住所】 日本、〒236-0045 神奈川県横浜市金沢区釜利谷南2丁目40−8 東光禅寺
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東光禅寺 鎌倉宮大塔宮にあった東光寺が起源

今までみていた鎌倉のお寺に関する書籍などでは、医王山東光寺は二階堂の鎌倉宮大塔宮の地にあり、開基は二階堂行家(源頼朝説もあり)とされていました

東光禅寺縁起では、東光寺の開基は畠山重忠公とされています

護良親王が幽閉されていた土牢があり、足利直義の命で殺害(1335年)されたのが東光寺です

東光寺は廃寺となり、薬師三尊像や十二神将像は長善寺に移され、長善寺も廃寺となり、辻の薬師堂のみが残されることとなったが、仏像は鎌倉国宝館に収蔵

しかし、金沢釜利谷の東光禅寺縁起には東光寺は応仁年間(1467〜1469年)この地に移されたとありました

畠山重忠開基 東光寺が起源とされる東光禅寺

横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺
横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺

白山道を挟むように東光禅寺と東光禅寺の駐車場があります

壁で境内が見えないのでちょっとわかりにくかと思います

白山道から東光禅寺の門に入るとすぐ正面に見える供養塔が伝畠山重忠供養塔です

東光禅寺 伝 畠山庄司次郎重保公供養塔
東光禅寺 伝 畠山庄司次郎重保公供養塔

畠山重忠供養塔 東光禅寺 白山道 釜利谷

伝畠山庄司次郎重忠公供養塔 東光禅寺

東光禅寺 伝 畠山庄司次郎重保公供養塔
東光禅寺 伝 畠山庄司次郎重保公供養塔

伝東光禅寺開基 畠山庄司次郎重忠公供養塔という立札がたっていました

お墓という感じではなく、縁の深い畠山重忠を供養するために建てた塔というでしょうか?

横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺
横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺

白山道からの入口と畠山重忠供養塔との間に東光禅寺の門があります

横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺
横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺

小さいですが、緑の多い庭です

横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺
横浜市金沢区釜利谷 東光禅寺

東光禅寺の本堂がこちら

本堂の後ろに墓域

それほど広くはなく、すぐに山です

このあたり一帯が谷間で、白山道の両側はあまり広くはないのです

東光禅寺
東光禅寺

畠山重忠念持仏 木造薬師如来坐像 東光禅寺

畠山重忠念持仏 木造薬師如来坐像 鎌倉時代初期

東光禅寺 木造薬師如来像
東光禅寺 木造薬師如来像

東光禅寺の本尊の木造薬師如来坐像は鎌倉時代初期の作です

畠山重忠公の念持仏とされています

像の高さは28cmほど

東光禅寺
東光禅寺

東光禅寺本堂 薬師如来坐像と十二神将 天井の大龍画

東光禅寺
東光禅寺

本堂の中のお参りもしました

本尊の薬師如来像、薬師如来像の周りに十二神将像

十二神将は大きい像ではなく、本尊の周りに配置されていました

そして、天井には大きな龍の絵が描かれています

畠山重忠公史跡案内 横浜市金沢区釜利谷

畠山重忠公史跡案内 釜利谷地域ケアプラザ横

横浜市金沢区釜利谷白山道
横浜市金沢区釜利谷白山道

白山道を挟んで福祉施設と釜利谷地域ケアプラザがあります

この西側すぐのところに東光禅寺があります

地域ケアプラザの横の壁にあるのが畠山重忠公史跡案内板

この地区と金沢北条氏についてや、畠山重忠・畠山重保の逸話に関することが書かれていました

小さな案内板ですから気づかずに通り過ぎてしまいそうです

横浜市金沢区 釜利谷地域ケアプラザ
横浜市金沢区 釜利谷地域ケアプラザ

畠山重忠公史跡案内板

横浜市金沢区釜利谷福祉施設周辺
横浜市金沢区釜利谷福祉施設周辺

こちらが福祉施設周辺の史跡案内と書かれた畠山重忠公史跡案内板です

六浦湊の地図が書いてありますが、昔は金沢文庫のほうまで海だったことと、瀬戸神社のあたりの瀬戸橋ができるまでの間は、こちらの白山道が六浦湊や称名寺へと通じる重要な道路であったことがわかりました

畠山重忠嫡男 畠山重保の墓と白山道 六郎の地

畠山重保嫡男 畠山六郎重保の墓も近くにあります

そして釜利谷の白山道周辺に残る六郎橋や六郎ヶ谷の名

畠山重忠の乱古戦場跡 横浜 二俣川

畠山重忠の乱の古戦場跡・畠山重忠終焉の地

横浜市旭区の二俣川・鶴ヶ峰周辺です



畠山重忠の乱古戦場跡 【Google Map】
【住所】 日本、〒241-0021 神奈川県横浜市旭区鶴ケ峰本町1丁目1
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畠山重忠が衣笠城を攻めるための陣 畠山

源頼朝挙兵の後、畠山重忠が衣笠城の三浦一族を攻め、衣笠城を落とし、一族の長、三浦大介義明討った衣笠合戦

衣笠城を攻めるために陣を置いた山が葉山にある畠山だそうです

横浜横須賀道路の横須賀ICの近くにあります



畠山 【Google Map】
【住所】 日本、〒240-0114 神奈川県三浦郡葉山町木古庭
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