鎌倉お寺

鎌倉 源氏山公園から寿福寺・英勝寺へ 北条政子・源実朝の墓

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2018年3月26日

鎌倉

桜をみた源氏山公園から寿福寺へと向かいました

源頼朝像の広場から寿福寺へは通りにくい下り坂を降りていきます

寿福寺は鎌倉五山のお寺

境内には北条政子、源実朝の母子の墓があります

源氏山公園から寿福寺へ 下り坂の道

源氏山公園案内図 寿福寺への道の地図

源氏山公園案内図
源氏山公園案内図

源氏山公園の案内図に寿福寺への道が書いてありました

この道を通り抜けて、寿福寺のほうへ下って行くのですが、この地図には寿福寺への通り抜け困難と書いてあります

源氏山公園源頼朝像
源氏山公園源頼朝像

源頼朝像の広場の先、奥の方の桜が見頃でしたが、そのさらに奥にある寿福寺への道へいきます

源氏山公園の桜
源氏山公園の桜

源氏山公園から寿福寺へ 通り抜け困難な道

地図に通り抜け困難と書いてあった道に行ってみます

この先を下ると寿福寺です

この先通行注意の看板がありましたので気を付けましょう

源氏山公園から寿福寺へ抜ける道
源氏山公園から寿福寺へ抜ける道

源氏山公園から寿福寺へ 太田道灌の墓

この道の脇に太田道灌の墓があります

太田道灌はこのあたりで生まれて扇ガ谷上杉家に使えていたそうです

太田道灌の墓
太田道灌の墓

寿福寺の裏手だと思うのですが、英勝寺の住職が立てたそうです

英勝寺も近いです

ここはどちらのお寺に属する地なんでしょうね

太田道灌は江戸築城で有名ですけれど、この山の下の扇ガ谷に出自があったんですね

太田道灌の墓
太田道灌の墓

源氏山公園から寿福寺への通り抜け困難な箇所

ちょっと歩いたところ、寿福寺の墓地の手前に、ほんとに通行が困難そうなところがありました

岩の間が狭くなっていて、急で細い道です

滑りそうで、挟まりそうですが通れます

雨が降ったらやばそうなところです

源氏山公園から寿福寺へ抜ける道の難所
源氏山公園から寿福寺へ抜ける道の難所

ここを抜ければ寿福寺ももうすぐ

お寺の裏手の墓地です

源氏山公園から寿福寺へ抜ける道
源氏山公園から寿福寺へ抜ける道

墓地にでました

この狭い間を降りてきました

足元には十分に念を入れて注意しましょう

寿福寺 北条政子の墓 源実朝の墓

寿福寺墓地 北条政子と源実朝の墓

寿福寺の墓地の中、一番奥のほうに北条政子と源実朝の墓と伝えられる塔があります

あまり目立たないところですね

こちらが北条政子のようです

寿福寺うらの墓地のやぐら北条政子と源実朝の墓
寿福寺うらの墓地のやぐら北条政子と源実朝の墓

そして、源実朝の墓です

寿福寺うらの墓地のやぐら北条政子と源実朝の墓
寿福寺うらの墓地のやぐら北条政子と源実朝の墓

源実朝は、鶴岡八幡宮の大イチョウのところで、公暁に暗殺されました

源氏の将軍が3代で終わり、その後は執権北条氏が実権を握ったという歴史です

寿福寺うらの墓地のやぐら北条政子と源実朝の墓
寿福寺うらの墓地のやぐら北条政子と源実朝の墓

案内板や解説は見当たりませんでした

古い実朝と政子の文字がかかれた板があるだけです

鎌倉幕府の三代将軍の実朝と、初代将軍源頼朝の妻であり、実朝の母である北条政子の墓なのですが、ひっそりとしています

寿福寺 参道

鎌倉五山第三位

寿福寺の前まで来ました

寿福寺の門
寿福寺の門
壽福寺(寿福寺)
住所 日本、〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目17−7

もう遅い時間ですし、もともと寿福寺は中には入れないお寺です

公開していないお寺

門の右側にいくと受付があります

御朱印などはそちらでいただけるようです

ちょっともらいに行きにくいかもしれませんが、もらっている人の話はあるので、この受付に行けばよいのでしょう

寿福寺は北条政子が招いた栄西の開いたお寺 臨済宗です

寿福寺案内板
寿福寺案内板

表の門からの道、静かな落ち着いた参道です

寿福寺参道
寿福寺参道

門の前にでました

寿福寺の門
寿福寺の門

寿福寺は本堂のほうへは入れませんが、門と参道がすばらしいと思います

鎌倉の桜 鶴岡八幡宮へ

この後は急いで桜を見に鶴岡八幡宮へ行きました

藤沢から江ノ島、鎌倉の桜を見る花見ウォーキングです

そろそろ夕方でしたので暗くならないうちに

寿福寺から英勝寺へ 浄土宗の尼寺

そして、少し寄り道

お隣の英勝寺へ

浄土宗の尼寺とのこと

江戸時代に太田道灌の曾孫で徳川家康の側室だった英勝院が建てたお寺

英勝寺
英勝寺
英勝寺
住所 日本、〒248-0011 神奈川県鎌倉市扇ガ谷1丁目16−3

門が閉まってます

もう夕方ですから

お寺はそんなに遅くまでは開いてません

英勝寺案内板
英勝寺案内板

寿福寺踏切を横須賀線の電車が通り過ぎていきました

横須賀線踏切
横須賀線踏切

寿福寺 北条政子の墓 源実朝の墓 2021年5月

2021年5月の寿福寺と北条政子、源実朝の墓の様子を追加します

寿福寺 北条政子の墓・源実朝の墓へ 梅雨入り前に

鎌倉扇ガ谷 寿福寺
鎌倉扇ガ谷 寿福寺

2021年5月31日梅雨入り前の鎌倉です

寿福寺の場所は源頼朝の父親の源義朝の居宅があった場所です

源頼朝は当初鎌倉幕府をこの場所に置こうとしたそうですが、義朝の菩提を弔う堂が建てられていたことからとりやめたという経緯があります

亀ヶ谷、扇ガ谷は源氏に深いゆかりのある土地です

寿福寺 参道

鎌倉扇ガ谷 寿福寺
鎌倉扇ガ谷 寿福寺

亀谷山と書かれています

亀谷とは書いてあっても、今のこのあたり一帯の地名は亀ヶ谷ではなく扇ヶ谷です

亀ヶ谷坂に亀ヶ谷の地名が残っていますが、現在の住所表記は扇ヶ谷ですね

鎌倉扇ガ谷 寿福寺
鎌倉扇ガ谷 寿福寺

緑に覆われた参道、静かです

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 参道
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 参道

今年は一段と静かな参道

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 参道
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 参道

寿福寺は参道は通れますが、普段境内の公開はしていないお寺です

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 参道
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 参道

寿福寺 御朱印

鎌倉五山、鎌倉三十三観音霊場の寿福寺ですが、御朱印休止中とのことでした

再開はいつになるでしょうね

秋には再開になるでしょうか

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 御朱印
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 御朱印

中には入れませんが門から見えます

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 境内
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 境内

鐘楼も右手に見えます

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 境内
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 境内

北条政子の墓・源実朝の墓 寿福寺の墓地内

北条政子の墓・源実朝の墓へ行くには寿福寺参道から左へ入ります

実朝政子の墓は左に入っていった墓地の奥の方です

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓

民家がありますから静かにぐるっと回っていきましょう

源氏山公園への登り口もこちらのほうにあります

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓

寿福寺の墓地の奥の方にあるやぐら群です

こちらが北条政子と源実朝のものと伝わる五輪塔の場所です

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓

奥のほうが北条政子の墓

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓

一応看板がありますが、北条政子の文字以外は読みにくくなってきています

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓

政子・実朝の墓と書いてある板

案内板というような感じのものではないのです

ずっと前からこのままですね

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 実朝政子の墓

北条政子が寿福寺を開基したのは1200年

3代将軍源実朝が公暁に暗殺されたのが1219年1月27日

享年28歳

ここは実朝の胴体の墓だそうです

北条政子が没したのは1225年

享年69歳です

寿福寺から源氏山公園への道 下から登る入口

寿福寺トンネル 源氏山公園への登り口

寿福寺の裏手の方にある寿福寺トンネルと源氏山公園への登り口

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 源氏山公園への道
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 源氏山公園への道

寿福寺トンネルは今小路のほうへ抜けるトンネルです

寿福寺トンネル
寿福寺トンネル

寿福寺の墓地から今小路経由で鎌倉駅のほうと行き来できます

寿福寺トンネル
寿福寺トンネル

寿福寺トンネルと寿福寺の墓地の間に源氏山公園への登り口があります

矢印付きの案内標識がありました

入口からけっこう険しいのでお気をつけください

鎌倉扇ガ谷 寿福寺 源氏山公園への道
鎌倉扇ガ谷 寿福寺 源氏山公園への道

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