2022年1月27日の訪問です
真鶴 岩の海岸
石橋山合戦で敗走したあと、相模国土肥(今の湯河原)の山中に逃れた源頼朝
しとどの岩に隠れ、梶原景時の見逃しに助けられた後、安房へ小舟で脱出、再起しました
真鶴半島の岩海岸が安房への船出の浜と言われています
小田原と熱海をつなぐ東海道線や国道135号線の途中にある岩の海岸
普段は通り過ぎるだけのことが多かったですが浜まで降りてみました
源頼朝船出の浜 真鶴半島 岩の海岸へ坂をくだる
真鶴半島 岩の海岸 真鶴駅からの行き方
早川駅から石橋山を経由して根府川駅へと歩き、根府川駅から真鶴駅までは東海道線を利用しました
真鶴駅から源頼朝船出の浜とされる岩海岸へと坂を下って向かいます
真鶴郵便局・真鶴町役場を通って、おおよそ1kmくらいの坂道です
謡坂と名前の坂だそうです
源頼朝船出の浜 【Google Map】
【住所】 日本、〒259-0202 神奈川県足柄下郡真鶴町岩
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謡坂 源頼朝船出の浜への坂道
源頼朝船出の浜の岩海岸への坂道にある謡坂の碑
謡坂というのは、安房への船出の前に、土肥実平が源頼朝一行の無事を祝い、再起を願って、謡い踊ったことを由来とした坂の名前とのことです
無事ここまでたどり着けたのは奇跡的なことだったのでしょう
バス通りです
謡坂の碑まで降りてくると、岩海岸まではもうあと少し
源頼朝船出の浜 石碑と岩の浜
源頼朝船出の浜 石碑と岩の浜
岩の浜の入口にある源頼朝船出の浜の碑
この海岸から源頼朝が船出したこと、協力した2槽の漁船は税が免除されたことなどが書かれていました
海岸の東の崖の下に、塩谷温博士の文による源頼朝開帆記念の碑があると書いてあったのですが、すぐ裏にあるこの石碑のことでしょうかね
浜の入口には周囲の地図もあります
浜にいた野鳥
岩の浜から見える三浦半島
岩の海岸
国道135号線・真鶴道路の橋がありますが、その先に見えるのは三浦半島です
三浦半島の先のさらに向こう側にあるのが安房、房総半島
最初から三浦半島の三崎沖をぬけて、房総半島を目指していたのでしょうか?
まず見えるのは三浦半島で、味方の三浦義明・三浦義澄の治める地です
石橋山合戦直後の衣笠城合戦で三浦氏は畠山重忠に敗北し安房へと逃れます
石橋山から敗走 治承4年8月24日
衣笠合戦落城 治承4年8月27日
源頼朝岩船出 治承4年8月28日
三浦の情勢は伝わっていたのでしょうか?
状況がわからず、三浦を頼って近い三浦半島に上陸していたとしたら、畠山重忠の軍がいましたから再起はなかったのでしょうね
弁天島
岩の浜にある弁天島です
出帆の漁船を隠しておくのに良さそうな小島です
源頼朝船出の浜 岩の崖に遮られた岩の浜
両端が岩の崖に遮られた岩の浜
岩は南北の両端が崖の遮られている浜です
こちらは北の崖
浜には弁天島があります
岩漁港のある南側の先も崖があります
両端が遮られている浜だからだと思いますが真鶴道路も浜の上を通り過ぎるように通っていますね
待ち伏せされていたら危険ですが、密かに船を隠し、出帆するのに都合のよい浜
運良くなのか、大庭景親勢も伊東祐親勢も来ていないことをしっかり調べて来たのか
岩の漁民の協力もあって待ち伏せにも合わなかったのでしょう
北側の崖はかなり高く険しいです
火山活動で作られた岩
岩の名前のとおり箱根の火山活動で作られた岩の地域
岩石で囲まれているような場所ですから石工の町として栄えていたそうです
石橋山 鎌倉と鎌倉時代 史跡めぐり 日帰り観光
石橋山古戦場から真鶴半島 岩海岸へ
石橋山古戦場へ行ってから真鶴へと行きました
石橋山古戦場はこちらをご覧ください
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